2014年2月7日金曜日

やりたいと思うがすぐに行動できません。すぐ行動できるようになるには?


とにかくすぐやる。やりだしたらノン・ストップ。
「走しりながら考えろ」という言葉を聴いたことはありませんか?
「行動しながら考えたらいい」ということですが、なかなかできない人がいます。実はほとんどの方はそうです。 
なぜなら、準備や経験を積んでからやりなさいという教えが小さい頃から入りこんでしまっているからです。
そのことは間違いではありませんが、その方法には少し欠点があります。
小学校の教育を思い起こしてください。1年生がいきなり6年生の授業を受けることはありませんよね。
当たり前だと思いますよね、なぜ当たり前に思うかというと、基礎ができていないと考えるからだと思います。
 私たちは幼い頃から、基礎を学んでからでないとできないという教えを受けています。
だから何をするにしても基礎からやるものだと思い込んでいます。それは間違いではありませんが、そのために、一方では大変だ、あるいは面倒くさいと思うのも事実です。
 したいけれど、その前にやらなくてはいけないことがある。と考え、行動に移す手前で足踏みしてしまいます。
アレコレ想像している段階で止まってしまうのです。
すると、簡単ではないと思い込み、だんだん面倒になってきます。
慌ててやってもうまくいかない、そのうちやるよ、ゆっくりやるよ、ということになります。まして重要なことや、自分がしたいことほど、その傾向は強くなってしまいます。
強くなっても、それだけ重要なことだからと自分でも、周囲の人にも、納得できる言い回しがもっともらしく聴こえます。
 そこで「基礎」にすぐ取り組めばいいのですが、面倒だなという気持ちがブレーキになって、「そのうち」だけが記憶に残り、行動を遅らせることになります。
やがていろんなことが身の周りに起こり、いつしか忘れたり、なにも取り組んでいない状態が続くことから、次第にあきらめに変わって行きます。
たとえば、何か資格をとろうとして、テキストを選びます。すぐ、その日のうちに、数ページ学習して、次にまた数ページ学習する。理解できても出来なくても、とにかく最後まで進んでしまう。

そこで分らなかったら、もう一度最初からやる。でも今度は自然に、少し考えながら取り組むようになるはずです。
つまりとにかくやる、次に自分を信じて、もう一度やってみる。自分を信じてというのは、自分もバカでないから、少し考えながら取り組むだろうということです。
そうすると進んで行きます。
できない人はこれと違った行動をします。
テキストを選びます。まずは環境と気持ちを整えようと思い、明日からがんばろうとします。次の日も同じです。気持ちを整えようとしても、億劫な気持ちはそのままです。
億劫な気持ちについては、「よしやるぞ」でしか解決できません。
あるいは、1ぺージ目から数ページの学習しましたが、数日間休んで学習しなかったために、分らなくなり、また最初の1ぺージ目から始めるというパターンに陥ります。
これを繰り返したら、いつも同じところからの学習で、いっこうに進まずにイヤになります。自分には不適切なんだと思います。
不適切という結論を出すだけも、していないのに、錯覚から結論づけてしまいます。
こういうことって玄関の郵便受けまで行きたいけど、いまは寝転がっていて、起きるのは面倒だな。というのと似ています。
こんなときエイ、ヤッで起きていくしかない。それと同じです。
やると決めたら、すぐにやる。やりだしたら分らなくてもやめない。うまくいかないことを気にしない、できないのは当たり前なんだから、止まらずにやっていたら、そのうちできるようになる。
止まっていたら、できるものでも、できません。
だから走りながら考える、これが走りながら考えろということです。
準備は大事ですが、面倒だなと思ってなにも進まない状態を準備とはいいません。
まず行動する習慣を先に身につけて、失敗を経験することです。
行動は苦にならないけど、失敗は気になるという状態になったら、やる気がある状態になったといえます。
そうなったら、どうすればできるかを、真剣に考えるようになります。

PDCAが熱く回り始めます。

その状態になるまでは、ノン・ストップです。


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2014年2月6日木曜日

ストレスからスタッフの心が折れて離職していく。有効な対策を教えて。

「SEの仕事をしています。徹夜が続き、それに見合う収入がないのも問題ですが、違う次元で問題があり、スタッフの心が折れてしまっているようです。 いい対策はないでしょうか?」

目標だけでなく、目的を共有する。経営理念は伊達じゃない。本気の理念がありますか?




最初にお断りしておきますが、身体的な疲労は休息で回復できますので、身体的な問題は除外して考えます。

ここでは「脳と感情と身体(=心)」から「脳と感情」に絞った回答をさせていただきます。

自分が自分をコントロールしている実感がないと、心は折れてしまうものです。
つまり、主体性のある仕事の仕方に変えることが必要です。

そうは言っても、クライアントがあっての仕事、自分のペースで仕事をするという意味ではなく、「主体性」を持つことです。

自分のペースで仕事ができる状態であっても、主体性のない人はたくさんいます。
主体性とは、自分が「目的」を持っていることです。
目的のない仕事をしているとは、すでに自分を見失った状態です。

●会社の目的を明確に打ち出しているか、
●会社の目的と個人の目的との間に矛盾はないか
●会社と個人の価値観のすり合わせをしているか
●会社と個人の価値観の違う人がいないか
●会社の目的を個人と共有しているか
 


以上を確認して、整えるようにしてください。

目的、価値観が共有できないようでは、烏合の衆です。企業の規模を問わず、この状態の会社が多い。零細企業には裸の王様のような社長がたくさんいます。


▼物事が達成できる人には、共通した条件がある。

・目的(ゴール)が明確
・目標に無理がなく、目標から逆算した計画があり、実行が出来る
・継続する仕組みがある
・感情のコントロールができて、我慢力がある
・コミュニケーション・スキルが強い
・流行りの情報に振り回されてない
・結果を急がず、マネジメントサイクルを回す

▼達成できない人にも、共通した条件がある。

・目的(ゴール)が曖昧
・目標に無理があり、計画に難があり、実行が出来ていない
・継続する仕組みがない
・感情のコントロールができず、我慢力が弱い
・コミュニケーション・スキルが弱い
・流行りの情報に振り回されている。
・結果を急ぎ、マネジメントサイクルを回せない
達成できない人の共通した条件は、達成する人の条件が反転したものです。


目標は企業活動をしている限り、未来永劫に続きます。やってもやっても新しい日、週、月、年がやってきます。毎回ゼロから始まります。

目的は、やった分だけ「成果」が残って行きます。大きく育ってもいきます。だから「やりがい」が財産になっていきます。

本気でやったことのある人なら分かる話です。

それにしても、この条件は、数多くの人々をリサーチした結果の「特定された条件」でしかありません。この背景には、リサーチしても浮かばない「本当の理由」が隠れています。

目的もないままに、目標を打ち立てるのは、砂の城。
目的もないままに「感情」たとえば「やらなければならない」「成功したい」「喜んでもらいたい」などで目標を設定してしまうからです。

「理性で考える」のと、「感情で考え行動する」
この境界線を明確に区別するのは、特に本人には難しい。

たとえば、「こんなことを言うと嫌われるかも知れない」と思いながら、話しかけるとき、すでに感情で考えて行動しています。

自分がためらうことなら相手の感情に波風立てる可能性は高いので、本当は両者が心の準備をして話し合える場を用意するのがいい。

ところが一刻も早くその場から去りたい気持ちが強いと、通りすがりに話しかける。

相手に心の準備ができていないので、重要な話であるほど、コミュニケーションはうまくできない。
避けたい感情に支配されたまま行動すると関係をこじらせてしまう。
「やらなければならない」という思いで目標に取り組むことはできる。
しかし、思いを強くしなければならない課題であればあるほど、困難がつきまといます。


禁煙ができない人、ダイエットができない人は、煙草を吸いたい、食べたいと欲求を満たしたい感情に注目します。
感情には注目するが、「自分はどうなりたいのか」「自分はどう考えているのか」にはほとんど注目しない。

困ったときに目標だけがある状態では、重圧に心が折れてしまいます。
困難に負けずに乗り越える勇気になるもの、それが目的です。

だから目的は、内向きでなく、外向いているほうがいい。
人は自分のために頑張るより、他者や世の中のために頑張れるように出来ています。

自分ためなら簡単にあきらめることができてしまう。
自分が我慢したら済んでしまう。心が折れるとは、自分を敵に回した状態です。

「何のために、この仕事をしているのか」

徹底的に話し合ってみてください。


併せて<ワークライフバランス>への取り組みを真摯に進めてください。



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2014年2月5日水曜日

信じていた人が信用できなくなりました。 どうしたらいい?   

人間は万能の神ではなく、限界があります。しかも能力の限界が違います。さらに限界を突破しょうという人もいれば、できないと思う人もいます。結局は自分の選択と決断です。その時の基準となるのが。。。

相手に非があるから、不信が起こっていることだと思います。
それをどう受け止めるか、その非が犯罪的なことであれば答えは明白ですが、そうでないなら注意が必要です。 

自分が与えたことと与えられたバランスで、受け取るものが少ないと感じると不信は強まります。決してGIVE&TAKEがすべてではありませんが、<人間関係のマナー>として、もう一度、GIVE&TAKEの視点から見直してみるのです。

気をつけたいのは、非は日常的に、しかも不意に発生することです。
あなたも他者に無意識に、あるいは間違えてしてしまうことがあるようにです。

信じていた人が信じられなくなった場合、以前はバランスがそれなりに取れていた点に注目しましょう。
それなりにとは、あなたが受ける分に不足があったかもしれないという意味です。
 
ゴミも積もれば山となるように、小さな不満がたまっていた状態で、つまり日ごろから自分の内側に「こんなにしてるのに」と思っている状態で、相手に非がある出来事が起こると、一気に山は崩れます。

いまがその状態ではないでしょうか? 
小さな不満・・・つまり、気に入らないリストを、あなたのこころに書き込んでいたのではないでしょうか?

気に入らないリストは心の傷リストなのです。

「信用できない!」は、こんなに傷つけられているという糾弾ではないでしょうか。

その糾弾に答えを出すのはあなた。
そこで、自分の傷を見続けるか、相手の気持ちを見つめるかの選択です。

相手が自分が受け取るばかりで、与えていないと思っているかどうか。
多分、そうは思っていないかも知れません。
実態としたら、悪気があるわけでもなんでもなく、相手はあまり気にしていないのかも知れません。

つまり「人間性」の問題にもならない程度でしかないこともあります。

ひどい言い方すれば、あなたが与えてくれるから受け取っているだけかも知れません。
GIVE&TAKEを考えていない。
つまりリストを作っていない状態。そういうこともありですよね。

だからといって感謝していないわけではないし、なにかあったら応援もしようと思っているかもしれません。

それは感性の違い、価値観の違い。あるいは表現の違いかも知れない。
 
重要なことは、その違いを否定するのもあなたの選択だし、違いがあることを受け入れるのもあなたの選択である点です。

神様、仏様の気持ちになりなさいという気はサラサラありません。
むしろ反対です。
人間は万能の神ではありません。限界があります。
しかも限界は人によって違うのです。
そこに立って考えたらどうなるか。

そこからの回答です。 人はそれぞれ違うから、人の魅力があるわけです。
すると、こういう人もいるんだって解釈もありです。こういう人以上に魅力的な人もいます。以下の人もいます。それぞれに「能力の限界」があるのです。限界を突き破ろうとする人もいれば、限界に甘んじてしまう人もいます。人それぞれなのです。

あなたも、そう感じているはずです。
感じているから、「どうしたらいいのか」って悩む。
違いがあることを受け入れるのがいいのか、あるいは気にいらないリストにこだわることを私のモットーとするのか、
2つのモットーの狭間で苦しんでいるわけです。 

大事なことは、自分が気持ち良く生きて行こうとしたとき、どちらが選んだ方がいいのか。選択と決断です。

気にいらないリストにこだわって自分を他者の被害者にしたいのか、人はさまざまを受け入れて、自分を自分の人生の主人公にしたいのか、その<選択と決断>はあなたが自分の意志で行うことです。

与えたのはあなたの意志だったはず。
友人、恋人によって幸福にしてもらうつもりなのか。
あなたの力で幸福になるつもりなのか。


答えは見つかりますよね。


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